(代二 32:31) しかし,バビロンの高官の代弁者たちが,この国で生じたしるしのことをヒゼキヤに尋ねにやって来た時,真の神はヒゼキヤを試すためにただ静かに見守った。神は彼の心の中にあることを全て知ろうとしたのである。
*** 塔研17 3月号 26–27ページ 書かれている事柄から教訓を学びますか ***
心がごう慢にならないようにする
ヒゼキヤからは,心に関係した教訓を得られます。ある時,心を調べる方エホバは,ヒゼキヤの心のうちにあることを明らかにされました。(歴代第二 32:31を読む。)ヒゼキヤが重い病気にかかった時,神は彼が回復することを示すため,影が後戻りするというしるしをお与えになりました。バビロンの君たちはその異兆について知りたいと思ったようです。それで使者を送りました。(王二 20:8-13。代二 32:24)エホバはヒゼキヤを「放置」し,彼がどうするかをご覧になりました。ヒゼキヤは,バビロニア人の使者たちに「宝物庫をことごとく」見せました。この愚かな行ないは,「[ヒゼキヤ]の心のうちにあることをことごとく」明らかにしました。
ヒゼキヤの心はなぜごう慢になってしまったのでしょうか。アッシリア人との戦いに勝利を収めたからでしょうか。奇跡的に病気をいやされたからでしょうか。「富と栄誉を大変おびただしく」得たからでしょうか。原因は何であれ,ヒゼキヤはごう慢になり,「自分に施された恩恵にしたがってお返しをし[ません]」でした。本当に残念なことです。ヒゼキヤは全き心で神に仕えていましたが,この時は神に喜ばれないことをしてしまいました。しかし,後に「へりくだり」,ヒゼキヤと民は神の憤りを免れました。―代二 32:25-27。詩 138:6。
ヒゼキヤに関する記述を読んで黙想するなら,どんな教訓が得られますか。ヒゼキヤがごう慢になったのは,エホバの助けによってセナケリブに勝利を収め,重い病気をいやされたすぐ後のことでした。エホバは,わたしたちが良い事柄を成し遂げた時にも,わたしたちを「試みて……放置」し,わたしたちの心のうちにあることを明らかにされるかもしれません。例えば,ある兄弟が話の割り当てのためによく準備し,大勢の聴衆の前でりっぱに割り当てを果たしたとします。多くの兄弟姉妹から褒められます。その兄弟はどう反応するでしょうか。
わたしたちは褒められた時,イエスのこの言葉を思い起こすとよいでしょう。「あなた方も,自分に割り当てられた事を全部したときには,『わたしたちは何の役にも立たない奴隷です。わたしたちのしたことは,当然すべきことでした』と言いなさい」。(ルカ 17:10)ヒゼキヤのごう慢な態度は,「自分に施された恩恵にしたがってお返しをしなかった」ことに表われました。わたしたちはどうでしょうか。神がどれほど助けてくださったかを考えるなら,エホバに憎まれる態度を避けられます。むしろ,エホバへの感謝を言い表わすでしょう。聖書を与え,聖霊によって支えてくださっているのはエホバだからです。
神は彼の心の中にあることを全て知ろうとしたのである